田中優さんのメルマガはいつもすごくわかりやすくて的確だなぁと思う。
タイトルは悲しいのだけれど、そこにはこれから考えていくべきこと、振り替えるべきこと、知っていくべきことの足掛かりがいっぱいある。
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田中優の“持続する志”
優さんメルマガ 第114号
2012.3.14発行
『 未来に安心できない 』
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◆全貌はまだ見えない
2011年3月11日の東日本大震災から一年経った。
こうした日には、大きな喪失を感じながら悲嘆にくれて、そこから少しずつ忘れていくものだ。耐えきれない苦しみや悲しみ、そこから悲嘆に暮れることで抜け出していく…。
しかし原発事故の問題がそうさせてくれない。福島第一原発事故、まだまだ被害の全貌は見えないからだ。放射能の被害は後から追ってくる。
「ただちに影響が出ない」という言葉は、「後から出る」という意味なのだから。その被害のピークは2021年頃になるものと予想される。
それでも少しずつ見えつつある部分もある。柏や松戸などのホットスポットで、他の地域では見られない小学生以下の末梢血リンパ球異常(子ども17人中8人)が認められたことだ。福島では子どもの甲状腺の異常の兆候が見つかった。
まだ統計的には明らかではないが、福島周辺では亡くなる人が増え、特に心筋梗塞が原因で亡くなる人が増えているようだ。友人の親族もその被害に遭っている。心臓だけはほとんど細胞の生まれ変わりがないために、放射線で細胞が殺されてしまうと機能が低下してしまうのだ。
御用学者は「大丈夫だ」を繰り返す中、取り返しのつかない現実が生じつつある。人々はあれほど専門家がアテにならないことを痛感したはずなのに、再び権威に従おうとしている。
福島現地では、放射能の話題をするだけで「気にしすぎる人」扱いを受け、下手をすれば「非国民」扱いされる。戦時中のような統制がまかり通っている。いや、それでも被害は来るのだ。
◆チェルノブイリを見よ
福島での放射能汚染レベルは、チェルノブイリの汚染レベルにほぼ匹敵している。それはベラルーシに近いから、そこで起きたことを見るのが一番いいだろう。
ベラルーシでは事故後、特に新たな出生がガタ減りした。死亡率はあまり変わっていないものの、出生率が著しく減少したために人口全体が減少に向かった。それが1999年を境に、劇的に回復する。
一体その年に何があったのか。
その年にベラルーシは、食品の汚染基準を思い切って厳しくしたのだ。水の汚染基準が10ベクレル/kg(日本は現在200ベクレル)、乳幼児の食品 37ベクレル/kg(日本は現在 500ベクレル)と、それまでよりずっと厳しい基準にしたのだ。
厳しくする以前は、今の日本と似たりよったりの数値だった。これから国内の汚染地域に起きることは、これとよく似た事態になるのではないか。
ベラルーシでバンダジェフスキーという医師が、被害によって亡くなった人たちを徹底的に調べた。彼はそのせいで不当逮捕され、亡命を余儀なくされている。
その調査結果によると、体内のセシウムレベルが10ベクレル/kgを超えると病気が出始め、20ベクレルでとても増加するという。膀胱だけはもっと低く6ベクレルから出始めていたそうだ。
体の中に取り込んだセシウムは、70日経たないと半分に減らない。セシウムの半減期30年とは別に、体から排泄されるまでの「体内半減期」もあるのだ。
ということは、もし今の日本の基準を信じて食べていたら、簡単にその数値を超えてしまう。
これに注意が必要だ。今後も毎日続く食事への警戒。食べようとする外食の魚は、子どもに与えようとするくだものは大丈夫なのか。日本の食品の放射能レベルが、今のところ低いのも事実だ。土壌の質など、幸いなことが重なったおかげかもしれない。
しかし今後もそうなるとは限らない。
この春のタケノコはかなり汚染度が上がるだろうし、汚染されていた小麦は今後パンなどになって市場に出てくるだろう。小麦が食品になるには、約一年かかるのだ。うどん、パン、お好み焼き、てんぷら、ホットケーキ、パスタ、ケーキはどうか。
同じ理屈でそばやビールにも汚染が入り込むかもしれない。
汚染地域では、木の皮を超えて木の水分にも放射能が入り込んだからウメなども気にかかる。
だが汚染が現実化しその被害が生じる頃には、人々はとっくに忘れているのだ。
◆二度と被害を繰り返さない
黙祷を言葉にしたら、こんな言葉になるだろう。
「二度とこの悲劇を繰り返しません、私たちはみなさんの犠牲を無駄にしません」と。
原発に対する対策は、もう二度と動かさないことだろう。なのになぜ止められないのか。「原発はベース電源」なんて、グラフの下に並べただけの話だ。上に乗せればすぐわかる。
不要な電源にするために、節電すればいい。
蛍光灯の裏側にステンレス製の反射板をつけるだけで、一本で二本分の明るさが取れる。
エアコンなら電気から、ガスヒートポンプに変えるだけで半分まで消費を減らせる。
家庭の電気消費は22%しかないから、事業者の節電が大事なのだ。「PPSから電気を買って脱東電」と言われるが、PPSが供給できる電気量が大きくなく、しかも東電の支配下から逃れられない。
それより得になる、「機器を選ぶだけの節電」のほうがいいではないか。
それだけで、命を賭けなくてもこれまで通りの暮らしができる。
「原発の電気は安い」というのも全くのウソだ。今の政府の電気料金の委員会に入っている立命館大学の大島先生は、電力会社の現実の決算報告書から本当の電気料金を割り出した。
その結果、日本で最も高い発電方法は原発だった。逆に一番安かったのが「水力発電」だった。政府の言い分とちょうど逆だ。
私たちの言う「二度と繰り返しません」は、「二度とだまされません」
と入れ換えたほうがいいのではないか。
瓦礫の話でも同じだ。現地市長・町長はこう言っている。
「瓦礫を山にしておいて10年、20年掛けて片付けた方が地元に金が落ち、雇用も発生する。もともと使ってない土地がたくさんあり、処理されなくても困らないのに、税金を青天井に使って全国に運び出す必要がどこにあるのか?」と。
東京都で瓦礫処理をする企業は、東京電力の子会社だけだ。
絆とは「利権の絆」の話なのか。それより瓦礫を積み上げた防波堤を被災地に築いたほうがいいのではないか。
私たちは犠牲者の想いを生かしていない。